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08/06/08(日) 2008年GS50ワンメイク耐久レース 四国シリーズ第二戦(最終戦)松山ラウンドに参戦してきました。
まぁんなこた置いといて。 今回の舞台は、MotoGP、WSB参戦で知られる日本が誇るトップライダー、玉田誠選手が幼い頃に練習を積んだという由緒あるサーキット、「松山オートランド」です。 こんなとこ。(画像は2006年の物) 前回の真逆の環境と言えるこのサーキット。路面は所々に亀裂が走り、亀裂からは青々と草が茂っています。 ワタクシM下は何度かここでレースの経験があり、亀裂も草もさしたる問題でないと感じていました(たまに湧いてる しかし思わぬ伏兵が潜んでおったようで、初めて訪れたI谷君、練習走行に出走したかと思えば早々に帰ってくる。 「アップ・ダウンが激しすぎる。酔いました」
え? バイク乗って、酔うの? 自分で運転してて、酔うの? サーキット攻めてて、酔うの? そうは言っても顔面蒼白、それこそまるで二日酔いのおっさんのような顔で不快感を訴えます。 かといって決勝の4時間(確か4時間だったと思う。そういえば前大会も4時間だったっけ?)を そうしてピットから様子を見ていると、中々調子を取り戻しつつあるようで、快調に周回を重ねます。 ところが、一番奥まった所にある左の連続コーナーの一つ目で
コケた。
確かにそこはナゼか転倒の多いポイント(そして大概藪に突っ込む)。無理が祟ったのか。幸いブッシュマンになることは避けられたもののライダー、マシンの安否が心配される。 ライダーは大事なさそうなものの、なかなかこっちに帰ってくる気配が無い。っていうか、バイクの状態を確認しているような様子もなく、こっちを見てボーゼンと立ち尽くしている。
「殺されると思って何もできなかった」(後のI谷君の言葉)
失礼なヤツだ。ボクはI谷君が心配で心配で気が気じゃなかったというのに。(腕組みして微動だにせず直視していた)
とにかくバイク押して帰って来いと指示をだすと、ハッと我に返った様子で戻ってくる
マシンの状態を確認すると、クラッチレバーのホルダーが割れてしまい、クラッチワイヤーを支持することができない(クラッチ操作が効かない)状態に。 何かうまい具合に修復できないかと工具・部品箱を漁ると、タイラップ(結束バンド)を発見。ハンドルバーとクラッチワイヤーを あわててマシンをグリッドに並べ、スタートライダーのM下は装備を整えスタートラインに。 ル・マン式スタートなのでライダーはマシンの対岸に。
スタートォ!
華麗にマシンに駆け寄ると、素早く跨り、あらかじめ引き出しておいたキックペダルを踏み下ろす!
あれ? キックに踏み応えが無い…。 あれれ・・・?
その瞬間、M下は全てを悟りました。先ほど施した応急処置、モチロン動作テストなどする暇も無く、ぶっつけ本番です。 みるみる他のチームはコースを進みます。タイラップを切ろうにもここはサーキット。一周してピットに入らなければ、どうすることもできません(歩いて工具取りに行っても、なんとなく許されるような雰囲気だったかもしれない(笑))。 なんとか押し掛けで始動を試みるも、常に半クラなんだからうまくいかない。バイクを押して一周しようかとも考え始めたその瞬間、スッとバイクが進みました。 二人掛かりで生み出すエネルギーは、
掛かった…行ける…! うしろから聞こえたT井氏の「行けぇーー!!」の声に、本当にジーンとしながら(T井氏にはクラッチ補修の時にもお手伝い頂きました)、アクセルを開ける。
それでもどうにか最終コーナーを立ち上がり、ピットロードへ飛び込みます。 始動直後。一人っきり。
ピットではI谷君と、前回に引き続きサポートに来てくれたK西君が心配そうに待っています。バイクを降りると素早くニッパーを取り出し、「今日はクラッチはありません!!」と叫びながらさっき巻いたばかりのタイラップをチョッキン。 I谷君は「ハイ!」と頷く。そりゃそうだ。クラッチレバーに触らずにシフトチェンジする、ノークラ・シフトをI谷君に教えたのはワタクシ。器用な彼は次の日には「教えてもらったあれ、できましたよ」と笑いながら来店してくれました。彼を信じてるから切ったのです。
レース用に緩めに張ったチェーンも功を奏したのか、シフトチェンジに違和感は無し。
抜いたりなおも抜かれたり、順位は判りませんが確かな手応えを感じつつ、一度目のライダー交代、酔っ払いI谷君へ。 前傾姿勢はやる気の印
やはり乗ってるうちに調子を取り戻したらしく、快調に飛ばします。もしかしたらバイクを壊してしまった責任を感じていたのかもしれませんが、アシュヴェルトは二人で作り上げたバイクです。何も気にすることは無い。思う存分 次のライダーチェンジの際、I谷君の顔色を観察するといたって健康な様子。やはり慣れたようです。安心してマシンを預り、クラッチの切れないバイクを二人で押し掛けして走り出します(半クラよりマシ)。 強豪、SBS高知のキャサリンが後から迫る。
最後の交代の時、I谷君の顔色が再び悪化していたことが気になりましたが、自分の役目を終えた安堵感が大きく、最後の仕事とばかりに押し掛けを手伝ってあっしーくんを押し出し、ピットに戻って早々に着替えました。 最終コーナー。抜く気満々です。
そして、チェッカーフラッグが振られ、レース終了。I谷君を労おうと声を掛けましたが、やはり顔色はいたって普通。レースに興奮して多少上気している程度です。
片付けをボチボチしながら集計を待ち、結果発表〜!
一位から順番にチーム名が読み上げられます。 どうもバイクで一生懸命走っている間に、「車酔い」の条件が逆転したらしく、「止まってると気持ち悪い…」と非常に辛そうです。
そんなサメみたいなやつをどうしたものかと笑っていたら、三位に我らが「SBS栗林・RCJ」の名が呼ばれます。
そんな訳で、四年間に渡るGS50ワンメイク耐久レースは、幕を閉じたのでした。
この場をお借りして、都合によりリポートが2008年シーズンだけになってしまったことを、深くお詫び致します。他シーズンにご参戦の皆様、ごめんなさい。 重ねまして、レース開催時、ご声援、ご協力頂いた事、 本当にありがとうございました。
また、なんかあったら一緒に遊びましょう!! おしまい。 |
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